【ジュピター開発者インタビュー 前編】家庭用ゲームの名裏方役が、スマートフォンで表舞台に挑戦!

『マリオのピクロス』をはじめ、任天堂ゲームハード向けに名作を提供してきた開発会社、株式会社ジュピター。いわば“家庭用ゲームの名裏方役”だったジュピターが、スマートフォンゲームでいよいよ自社タイトルをリリースしはじめた。
 今回は、京都のジュピター本社にお邪魔して、家庭用とスマートフォンゲーム開発の内情を伺った。

 前編は、ジュピターのこれまでの輝かしい開発経歴と、なぜスマートフォンゲームに乗り出したかを、開発部の目黒マネージャーに聞いた。『ピクロス』『ポケモンピンボール』『キングダム ハーツ チェイン オブ メモリーズ』『すばらしきこのせかい』を支えた開発会社が、いま表舞台に出る!
jupiter目黒

目黒徳親
 株式会社ジュピター
 開発部 マネージャー
 (敬称略)

◆会社を始めていきなり100万本超え

――ジュピターと言えば、家庭用ゲームでは名のある開発会社ですが、スマートフォンゲームのファンの中にはまだ馴染みが薄い人もいるかと思いますので、まずは会社の簡単な自己紹介からお願いできますでしょうか。

目黒 はい。ジュピターは、1992年に始まった会社です。もともと弊社の社長の中山(誠)が、インテリジェントシステムズ(編注:任天堂の家庭用ゲーム機向けソフトでは老舗の開発会社)で、営業をしていまして。その頃に任天堂の山内溥(前)社長の講演を聞いて、夢を抱き立ち上げた会社だそうです。

――山内溥前社長と言えば、ファミコンで家庭用ゲーム業界の礎を作った、もはや伝説のかたですね。

目黒 最初のジュピターは、3LDKくらいのアパートに人を集めて始めたそうです。僕はというと、ちょうどバブル後の就職氷河期で、就職もせずにフラフラしていたんですけれど(笑)、友だちの紹介で、少人数の頃に入りました。
 その後、中山が企画を持って任天堂さんとお話しして、まだジュピターに信用があった時期ではないにも関わらず、作らせてもらえたのが『マリオのピクロス』(1995年 発売:任天堂 ゲームボーイ用)です。会社としての実質的なデビュー作になりますね。僕も、最初のタイトルから関わっていることになります。
 その際、任天堂の宮本茂さんや、プロデュースをしてくださった石原恒和さんといったそうそうたるメンバーと一緒に仕事をさせていただきました。宮本さんに強く言われたのは、「ボタンを押したときの気持ちよさがゲームのインタラクティブの根幹に通じているので、それを大事にしていこう」ということです。ただマスが塗られるだけでなく、マリオの世界観を与えたうえで、何種類かのアニメーションを提案した中のひとつが、採用された“遺跡を掘るように石を砕く”という動きで、宮本さんにとても気に入ってもらえました。

マリオのピクロス
▲『マリオのピクロス』

――家庭用携帯ゲーム機向けタイトルからのスタートというわけですね。

目黒 デビュー作がいきなり100万本超えでしたから、本当に運が良かったなと思います(笑)。続くスーパーファミコン版以降も開発させていただいています。

――ミリオンセラーでのスタートは、ゲーム業界を見渡しても、なかなかないことですね。『ピクロス』、つまりイラストロジックパズルのゲームについては、以降約20年、業界の第一人者ですね。

目黒 おかげさまで、好評をいただいています。

――ジュピターは、始まった時期においては、任天堂発売のタイトルを制作する開発会社、いわゆるセカンドパーティと呼ばれる位置にいたわけですね。

目黒 そうなります。それから長くそうした立場でしたが、大きく変わったのは、ディズニーとのお付き合いが始まってからです。いくつかのタイトルをやらせていただいた後、『キングダム ハーツ チェイン オブ メモリーズ』(2004年 発売:スクウェア・エニックス ゲームボーイアドバンス用)に関わらせていただきました。ニンテンドーDSの時代に入ってからは、さらにいろいろな会社とお付き合いをさせていただいています。

KOHチェインオブメモリーズ
▲『キングダム ハーツ チェイン オブ メモリーズ』

――その他にも、『ポケットモンスター』シリーズ(発売:任天堂・ポケモン)からスピンアウトしたゲーム、例えば『ポケモンピンボール』(1999年 発売:任天堂 ゲームボーイ用)などの開発も手がけられていますね。

目黒 そうですね。他にも『ポケットピカチュウ』(1998年 任天堂発売の歩数計つき携帯ゲーム機)などが代表的です。

――ポケモンミニ(2001年 ポケモン発売の携帯型ゲーム機)のソフトも、ジュピターが開発したものが多いですね。

目黒 ポケモンミニのソフトはほとんど弊社ですね。僕も開発に関わっていましたが、ポケモンミニ用ソフトは少人数で作れましたし、開発としてはすごく楽しかったです。

◆2Dと3Dの両方をできる開発会社

――会社としては、どのあたりのタイミングで大きくなっていったんですか?

目黒 先ほどお話しした『キングダム ハーツ』を開発し始めて以降ですね。それまでは30人くらいの会社でしたが、一気に人数も増えていきました。ひとつの転換点ですね。

――会社としての代表作、というと、何を挙げられますか?

目黒 やはり『ピクロス』シリーズです。ただ、若い子たちに一番響くのは『すばらしきこのせかい』(2007年 発売スクウェア・エニックス ニンテンドーDS用)だったりします。ウチを受けに来る若い人、特にデザイナーからは、その名前が最初に出てくるようになりました。

すばらしきこのせかい
▲『すばらしきこのせかい』

――ここまで挙がったタイトルはほぼ2Dグラフィックですが、ジュピターとしては2Dが得意、ということになりますか。

目黒 確かに2Dがずっと得意だったんですけれど、『スペクトロブス』(2007年 発売:ブエナビスタゲーム ニンテンドーDS用)を作ったあたりから、3Dもできるスタッフが増えて、いまは両方をやれる会社になっています。ウチのデザイナーは、ほとんどが2Dも3Dも両方できます。

――2Dと3Dでは求められる能力がかなり違いますので、あまりいない人材という感じがしますね。

目黒 大きな会社なら分かれるでしょうが、中小では何でもできないと困るので、意図的に経験を積ませています。なので、ウチでデザイナーを採用するときはデッサン力を重視します。3Dができてもデッサン力がないと困る、という考えかたをしていますので、結構厳しいかもしれないですね(笑)。

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◆スマホ開始、自社パブリッシュへ

――そうして家庭用では名を成しているジュピターが、スマートフォンアプリの開発に取りかかりはじめたのは、いつ頃からですか?

目黒 ニンテンドーDSと3DSが切り替わる頃ですね。DSから3DSに切り替わる頃、大手のパブリッシャーさんたちがなかなか3DSの開発に乗り出さなかった時期がありました。その頃に、お仕事があまり来なくなった時期があったんです。

――任天堂のハードは、浸透するのに少し時間がかかる傾向がありますからね。

目黒 そのときに、スマートフォンアプリの開発のお仕事がいくつか入ってきて、やらせてもらうようになったのがきっかけです。タイトー発売で、DS向けにウチが開発した『みんなの動物園』(2009年)『みんなの水族館』(2010年)といったタイトルの担当のかたが「これからスマートフォン向けに作ってみませんか」と言ってくださったあたりからですね。動物園から派生して、ゾンビの動物園のようなものを作る、という企画だったんです(笑)。

――それが『ZONBIE CARNIVAL』(タイトー iOS用 現在はサービス終了)ですね。

目黒 そうです。その前にエムティーアイの『パズるん』(iOS、Android用)というアプリを作っているので、2本目ということになります。『パズるん』はいろいろなパズルが入っているもので、イラストロジックパズルもあったので、そうしたつながりからお話をいただきました。

――スマートフォンゲームも、最初は開発会社として、特に過去の実績をふくらませる形でスタートしたことになるんですね。

目黒 スマートフォンの表現力が上がってきて、よりコンシューマ(家庭用)機に近づいてきたのもあると思います。最初はウェブ系でスマートフォンアプリを作っていた会社も、コンシューマゲームを作っている会社の手を借りたい、となってきた時期だと思いますね。

――『パズるん』のリリースは2011年だそうですから、案外最近のことですね。

目黒 そうですね。まだ近々のことで、本当に急な展開です。

――相談を受けて制作する開発から、自社パブリッシュに舵を切ったのはなぜでしょうか。

目黒 開発を受注していく中で、ウチは結構こだわって作ってしまうので、時間がかかってしまうことがあるんです。そこで、いただいた開発費よりも手をかけてしまうことがままあって(笑)。

――家庭用機のゲーム開発では、ときどきある話ですね(笑)。

目黒 こだわりの強い人間が多くて(笑)。それに加えて、スマートフォン以降は自分たちがパブリッシングできる時代になってきたので、チャレンジしない手はないだろう、ということになったんです。まずは、ヒットを飛ばすことを前提にするよりも、やってみることが大事だと考えました。そうして最初に社内で作ったのが『罠、はじめました。』(iOS、Android用)というゲームです。去年のリリースで、ちょうど1年ほど前のことになります。

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――『罠、はじめました。』は、今日もご同席いただいている佐々木さんがディレクターだそうですが、佐々木さんも家庭用ゲームの開発出身ですか?

佐々木 そうですね。家庭用のときは、本当にただの作業人だったんですけれど。

目黒 ウチでは、企画を募集したうえで、やる気のある人間に作らせようという考えかたなので、企画を提案してきた佐々木にそのまま作ってもらう形になりました。

――佐々木さんにとってはまったく初めてのプラットフォームだったと思いますが、『罠、はじめました。』の開発はどのくらいの時間がかかったんですか?

佐々木 予定よりも、はるかに……(笑)。はじめは3、4ヶ月で作ろうと思って企画を立ち上げたんですけれど、やっぱりもっと見栄えを良く、という声もたくさんあり、ディレクションに慣れていなかったので、いろいろな意見を聞きすぎてまとまらず……みたいな状況でした。

――リリースまでには、結局どのくらいかかりましたか。

佐々木 半年以上かかりましたね。

――実際に出してみて、評判はいかがでしたか。

佐々木 評判は、たいへんよろしいみたいです。おかげさまで、継続率もいいみたいですね。
 前編はここまで。後編では、ジュピターの最新タイトル『スマピク』『ドキドキ!コスプレキューピッド』の開発チームに、実際の現場はどうだったかについて聞いた。
 なかなか聞けない話が満載、どうぞお楽しみに。

(2014年12月収録)