◆新世界の神になる!
自分が神となり、人々を導く。ひとことで説明できてしまうほどわかりやすいゲームなのに、思わず「7日で世界を作ったとかいう聖書の神様はずいぶん優秀だったんだなあ……」と呟いてしまった。そう簡単に天地創造はできない、そんな当たり前のことを思わされたのが、今回紹介するシミュレーションゲーム『Godus』だ。
プレイヤーである「神」は、さまざまな「奇跡」を起こすことができる。そのために必要となるのが神を信じる人々=信者が生み出す信仰心だ。何をするにもこの信仰心は不可欠であり、より大がかりな奇跡になればなるほど、同じ奇跡を使えば使うほど消費する信仰心も膨大になる。そのため、まずは神の信者をどんどん増やしていくのが当面の目的だ。
神は荒れ果てた大地から木や岩などの障害物を連続タップで取り除いたり、地面をドラッグして引き延ばしたり消したりという奇跡を行使できる。ある程度の広さを確保すると人々が家を建築し始めるので、この操作を繰り返して少しずつ住人が増やしていこう。
住人の数が増えると、色々な「カード」が使えるようになる。このカードにフィールドで拾える「ステッカー」を組み合わせると奇跡の種類が増えるほか、信者たちが農耕や採掘などを始めてより豊かな生活を送るようになる。安定した暮らしを送れれば、それだけ生み出される信仰心も増えるという仕組みだ。
◆フリーダムな信者をきちんと見守り続けるのも神の仕事
さて、良好な関係を築いているはずの神と信者だが、この信者がなかなかフリーダムで神の気持ちなんかさっぱり気にしてくれない。「大地を綺麗に整えたから、このへんに家を建ててくれるだろう」と思っていても何故か変なところに住居を構えるし、「もっと詰めて建てられるだろ!?」と言いたくなるくらい微妙な距離を空けて建設することもざらだ。
一応、信者へ「この地点へ行け」という指示は出せる。とはいえ、ここでも信者はフリーダム。移動させる距離が長いと信者は疲れてやる気を失うし、大雨が降れば移動を中断して家に帰る。当たり前といえば当たり前だが、もう少し頑張っていただきたいものだ。
また、邪魔な建物を破壊できる奇跡も存在する。どうしても気になった部分は壊してもいいのだが、住んでいた信者は住居を失う。その後もしばらく意気消沈した様子で、だんだんとこちらがとても悪いことをしたような気分になってきしまう。家の破壊は強い気持ちを持って行なわねばならない。
さらに、この世界には信者とは別に「アスタリ」という民がいる。彼らは定期的に「祝祭」を開催し、その際に信者の「幸福度」がアスタリよりも低いと信者がアスタリ側に転向してしまう。ここまであれやこれやと手間をかけて育て上げようと、そんなことはお構いなし。清々しいほどの手のひら返しである。
◆頼られたらNOとはいえない神様は、おだてられると弱かった
それでも、つい信者を助けるために頑張ってしまったのは、信者からの信頼に応えなきゃという義務感、そして何より彼らが楽しそうに生活しているからだ。
家を建て、畑を耕すといった生産活動だけでなく、こっちが地面を動かせば「神の奇跡だ! スゲー!!」と言わんばかりに寄ってきてそのまま地面に埋まったり、木を生やせば拝んだり登ったりとはしゃぎだす。ときにはたき火で暖を取り、信者同士で雑談し、水辺では顔を洗う。こうした些細な行動を見ているだけで信者達がこの世界で生きているんだなと感じられ、「ここで彼らを幸せにできなくて、神なんか名乗れるかー!」と思わされてしまうのだ。
世界を自由に創造していく神の視点を楽しむのはもちろん、信者との生活にほっこりできる。『Godus』はそんなほのぼのさも漂うシミュレーションゲームだ。