高橋名人はいま、新会社で何を目指すのか?【高橋名人1万字インタビュー 前編】

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 ファミコン時代からいまに至るまで、ゲームの伝道師として多くのファンに支持されてきた、業界でもトップクラスの有名人“高橋名人”こと高橋利幸氏。その高橋名人が、新会社ドキドキグルーヴワークスを設立したニュースは、ゲーム業界内外でセンセーショナルな話題となった。

 春頃の発表から数ヶ月が経ち、高橋名人はいま、新会社でどんなことを目指しているのか? そして30年に渡りゲーム業界を見てきた名人は、いまのスマートフォンゲームの世界をどう見ているのか? 高橋名人に直撃インタビュー!

 前編は、新会社ドキドキグルーヴワークスについて。いま名人は何を目指しているのか?

高橋利幸
 株式会社 DOKIDOKI GROOVE WORKS
 代表取締役 名人

◆肩書は「代表取締役 名人」
――今日はドキドキグルーヴワークスについてお話を伺うわけですが、このお立場の場合、名人とお呼びするのがいいですか、それとも高橋さんとお呼びするのがいいですか?

高橋 別に「名人」でいいんじゃないですか。肩書も「代表取締役 名人」ですし。社長より、そっちのほうが面白いですからね(笑)。

――ドキドキグルーヴワークスについては、今年の春頃に名人が発表されて、センセーショナルな話題になりました。改めて、どういった会社か、名人からご紹介いただけますか。

高橋 最終目標は、自分たちでアプリを作るところまで行きたいですね。その前段階として、まずはデバッグ業務から始めて、ゲームの評価をしたり、企画をしたり、ということを着々と進めていきます。そうして開発部隊も少しずつ増やして、大きくなっていければいいな、と思っています。
 現在は、40数名のスタッフがいます。半年かけて、やっと仕事をちゃんと受け入れられる体制になった、という感じです。

――スタートとしては、デバッグ、評価、あるいは企画やチューニング、というところからなわけですね。

高橋 企画とチューニングはひとまず置いて、最初はデバッグからですね。チューニングは、制作の初期から入っていないと、どの程度までシェイプアップしていいのかが分からなかったりしますから、もうちょっと信頼関係ができてからですね。だから第二ステップ。企画・発案となると、第三、第四ステップという感じになります。

――ファーストステップとしては、デバッグなわけですね。もうひとつ、評価というのもファーストステップですか?

高橋 そうですね。いまウチには、杏野はるな(編注:ゲームアイドル。レトロゲームにも造詣が深い、芸能界屈指のゲームマニア)がスタッフとしていまして、その下にゲーム雑誌でライターをしていたスタッフも数人います。それにプラスしてゲームが大好きで入ってきたスタッフもいるので、評価についてはある程度できるのではないかと思います。
 まったくの素人の目線で見ることも必要ですけれど、評価となると違った目が必要になりますから、どういう目でゲームを見られるスタッフがいるかは重要です。ゲームのジャンルもたくさんありますけれど、対応できる幅も少しずつ増やしていければいいかな、と思っています。

――ゲームを発売前に評価するのは、欧米では非常に重要な役割として見られていますが、日本では案外軽視されている部分でもあります。日本でもそういう目を持った会社が出てくることは大きな意味があるかと思いますが。

高橋 日本の場合、評価は、販売店さんが売れるか売れないかを見極めるために使っていたりしますね。ユーザーが100点をつけたからみんなが飛びついて買うか、というと、いまひとつ繋がっていなかったりもしますから。
 海外の評価は、そのゲームが本当に面白いかどうかに繋がっているので、実はあれは評価というよりチューニングなんです。そういう意味では、日本と海外では評価という役割の捉えかたが少し違うと思いますね。
 僕らはいまのところ国内で動いていますから、日本ならではの役割ができればいいかな、と思っています。

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◆お世話になったゲームに恩返しをしたい
――ドキドキグルーヴワークスでの、名人の具体的な役割は、どんなことになるんでしょうか。

高橋 いまのところは、旗振りですね(笑)。いろいろな会社さんとお付き合いさせていただき、お仕事をいただく関係の中で、信用を着実に伸ばしていくことが第一。それには、まずお仕事を受けさせていただかないといけません。私の経験値を活かすのは、その後ですね。スタッフにいろいろなゲームを見る目を浸透させていく中で、「そういう見かたもあるのか」という気付きだったり、スタッフ自身が「こうじゃないか」と思うことを引き出していく面において、フレンドリー感のある社長であればいいかな、と思っています。

――そこは、これまで長くゲームと付き合い、面白いゲームを知っている高橋名人の目利きが活きてくると、いい形にできるのかもしれませんね。

高橋 「面白さ」って、説明するのが難しいんですよ。個々の感じかたが全然違うんです。データ化して票が多いものが分かれば伝わる、というものでもない。プログラマーや企画者が考えた面白さがストレートに伝わる場合もあるし、まったく違う形で伝わることもある。だから、目利きを鍛えるには、自分たちの思っている「面白さ」を引き出すことが一番重要だと思います。それが的確に言葉になれば、開発者やディレクターにも伝わるはずです。ウチの会社は、それをやらなければいけないと思っています。

――設立時の高橋名人のコメントで「目指すところは、すべてが社内で終わること」という言葉が印象的だったんですが、具体的にはどんなことを目指すんでしょうか。

高橋 最終的には、ウチの会社でゲームを作りたい、ということです。企画発案から、開発、チューニング、デバッグまでをして出す、そのすべてを社内だけでできるのが最高の形ですよね。例えば、ソーシャル系のゲームであれば、サーバの管理まで社内に置かないと、完結にはならないですから、それも含めて、ですね。
 いまの規模だと全然届きませんから、5年、10年の計画になるのかな(笑)。

――腰を据えて臨む、という感じですね。

高橋 半年一年では無理ですね。死ぬまでに最終形が見えればいいんじゃないかな。俺、定年いくつなんだろうって思うけど(笑)。でも、それをやることでゲーム業界が盛り上がってくれたら、いままで三十数年お世話になった世界に、ちょっとでも恩返しができるかな、という感じですね。

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◆55歳の「たぶん、いまなんだろう」
――一方で、高橋名人というと、これまでは「作る」よりは「伝える」役割のイメージが強いと思います。広報や宣伝、イベントなどで、ゲームの面白さを、メディアを通じて広げる役割でした。今回ドキドキグルーヴワークスで「作る」側に回ったのは、どういう変化があったんでしょうか。

高橋 仰るとおり、私は宣伝畑が長いです。開発もちょっとはかじりましたけれど、時代で言えばBASICの頃ですから、いまの基準では話にならない(笑)。でも、開発者に、ユーザーがどういうことを求めているかを伝えてあげられればいいな、と思うんです。私はいまの開発についてよく知っているわけではないでしょうけれど、そのことで逆に制限なくしゃべれたりもします。だから、開発やデバッグの会社を作った本人が、開発のすべてに詳しくなければいけないということはないと思います。
 その代わり、最終的には社内で開発のすべてをしたいわけですから、自分たちの思っていることをどんどん言えるようにはならないといけない。そこから良いものができていくんじゃないかな、とずっと思っていたんですよ。経験値として、ユーザーに伝えること、こういうところが面白いと表現すること、そういう面では負けないつもりですから。

――開発どっぷりではないからこそ、できることもあるわけですね。

高橋 それと、面白いものができたらもちろんいいですけれど、できなかったときに、出さない勇気。出すのを止めること。これは、いち担当では厳しい。会社を作った自分だからできることになるでしょう。そこには正直でありたいですね。
 昔、ハドソン時代、1985年の末に、ファミリーコンピュータ向けに『忍者ハットリくん』を出す予定で、ずっと開発をしていたんですね。でも、何だか面白くない。それでも、開発がずっと動いている中で、私のようないち宣伝マンが疑問を言っても、なかなか伝わらないんです。そのとき、当時の社長の工藤裕司さんが「これ、面白いか?」と聞くので「いや、ちょっと……」と答えたら、鶴の一声で「よし、作り直しだ」。三ヶ月発売を伸ばして作りなおしたんです。ああいう判断は、絶対に必要なんです。

――作り手と一体になって、目利きがそれを判断できることで、より良いサイクルを作る会社、というイメージですね。

高橋 そうですね。ディレクターが思っているものが、少なくとも90%以上は実現できてない作品ならば、出すべきじゃない。そういう判断は、自社のものならできるじゃないですか。「すべてを社内で」というのは、そこに繋がると思いますね。

――出すものには、自信、責任を持ちたいと。

高橋 当然、そうです。作って出しっぱなしは、ちょっとマズいんじゃないかな(笑)。

――それを実現したい、という気持ちは長くお持ちだったのではないかと思いますが、今回ドキドキグルーヴワークスという会社の形で設立したのには、どういった経緯があったんでしょうか。

高橋 私も55歳ですから、普通の会社で定年を考えるとあと5年、65歳でもあと10年です。そうなると、もうちょっと後で、と言うにはそろそろ限界に来ている、というのがひとつ。それから、例えばデバッグは、業界でも分かりやすく望まれている業種じゃないかな、と思ったんです。そういったことをいろいろ考えると、たぶん、いまなんだろう、と感じたんです。自分にしてみれば、やっぱり残り10年くらいが限度ですよね。

――ご自身の残り時間をかけるべき仕事をしよう、ということですね。

高橋 その後もあるかもしれないし、もしかするともっと短くなるかもしれないですけれど。
 いま、コンシューマが落ちてきて、ソーシャル系が右肩上がりでどんどん伸びてくる中で、ゲーム業界全体の売上としては維持か微増という感じですよね。ただ、私としては、コンシューマゲームが落ちているのは、ちょっとだけ歯がゆい。コンシューマゲームのボタンにこだわりたいユーザーさんのことを考えると、コンシューマゲーム業界で何かをしたいんです。いまやらないと手遅れではないか、というタイミングでもありますから。

――確かに、そうかもしれませんね。

高橋 ただ、自分たちでコンシューマゲームのソフトを出せるか、というとなかなか難しいので、現状では、出しているところのお手伝いをしたいわけです。その気持ちは、大きかったですね。

――現状では、ドキドキグルーヴワークスで受けているお仕事の比率は、スマートフォンとコンシューマで分けると、どんな感じですか。

高橋 いまは、5割弱がコンシューマ、5割強がスマートフォンです。業界の状況を考えると、結構コンシューマも多くやらせていただいていますね。

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◆「高橋名人」であり続ける理由
――ドキドキグルーヴワークスでは、社長業、経営をされることになると思いますが、一方で「高橋名人」としてのタレント・文化人としての活動も、これまで通り続けていかれるんでしょうか。

高橋 そうですね。タレント的な活動はほぼゲームに特化した立場になりますけれど、今後も続けていこうと思います。ニコニコ生放送で番組をやっているのも、面白いゲームをみんなに広めていかなければいけない、というのがありますしね。なので、そっちのほうを辞めるつもりは、いまのところないです。

――高橋名人ファンも一安心ですね。

高橋 ただ、番組があるから会議ができない、というのでときどき困るんですけどね(笑)。

――ドキドキグルーヴワークスを始められてから、名人の中で、何か変化はありましたか。

高橋 番組をやっていると、いろいろなかたと名刺を交換するチャンスが多いので、並行してやることは、会社を知ってもらうのにちょうどいいですね(笑)。

――それは、並行していることの強みですね(笑)。

高橋 それと、タレントだけをやっていると、このまま売れなくなっても別にいいかな、という気持ちになることがあるんですよ。でも、ドキドキの代表という立場があると、売れなくなるのはマズい、という気持ちが出てくるんです。会社のためにも、知名度を維持しなければいけない。会社の顔として、売れなくなってはマズいんです。そこは強く思うようになりましたね。

――自分だけの名人ではなくなった、という感じですね。

高橋 当然、そうですね。例えば、ホテル業界でも顔を売って広告役になっている社長さんがいますけれど、それと同じになればいいなと思っているんです。私の顔とドキドキが一緒になって、顔を見ればドキドキが手がけたデバッグや開発のことが繋がってくれるように、これからは頑張らないといけないですね。

――名人としての顔と同時に、会社の看板としての顔も持つわけですね。

高橋 だから、昔以上に悪いことはできない(笑)。昔のぶっちゃけ話をしますと、タバコを吸っていた時期もあるんですけれど、子どもの前では絶対に吸わなかったですね。歌舞伎町の飲み屋に編集部と一緒に行くときでも、変な看板と一緒に写真を撮られないように、看板から離れて道のド真ん中を歩いてましたから(笑)。

――高橋名人は、子どもの夢でしたからね(笑)。

高橋 子どもの夢というのは、お母さんの目でもあるんですよ。お母さんがたに嫌われたら、子どもの世界ではもうダメ。だから「ゲームは一日1時間」と言っておいて、本当に良かったですよ(笑)。

高橋名人5
(2014年9月収録)
 前編はここまで。
 後編は、高橋名人が実際に触れたスマートフォンゲームについて聞いてみた。近日公開、お楽しみに!

《 10/8アップ! 後編はこちらから 》